「学校くらい来いよ」という凶器の言葉。
先日、悲しいことが起こった。
僕は例にもれず、今学期もあまり学校に行っていなかった。
といっても、行くべき日は週3日。それすらもあまり行っていなかったのである。
確かにモチベーションは低い。
経済学部の勉強は理解不能な机上の空論。出席確認はなく、テスト一発で合否が決まる授業が多い。
通学は往復で2時間半。生活リズムも乱れているし、最近は関わっているNPO法人での不登校支援などを増やしたこともあり、心身ともに疲れていた。(その件については、支援できるレベルまで回復していないなとつくづく感じさせられたが・・・)
つらつらと理由らしきものを述べても、ただのサボりでしょ、で片付いてしまうものばかりである。自分でもそう思う。
それでも、果たしてそれだけの理由でずっと休み続けるものだろうか。。。
学校に行かない(行けない)理由は様々だが。
本当のところ、これといった理由があるのかもわからない。
そもそも不登校に理由を求めること自体が無粋なのだ。
開き直っているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりではない。
学校に欠かさず行くことができるのはある種の能力だと思う。
世の中の人が当たり前だということ。もちろんそれは、ほとんどの人がやっているという点で当たり前である。
だが、大切なのは、その当たり前ができない人がいる、という認識だ。
目が見えること、親が守ってくれること、学校教育が受けられること。
そういったものは、当たり前であり、当たり前ではないのである。
不登校も、そういうことなのだと思う。
そうとしか説明ができない。
前置きが長くなってしまったが、先日あったことを話そうと思う。
僕はその日、意を決して、というわけでもないが、なんとなく頑張って大学に行こうと思い立ったのである。
実に、5週ぶり。それはもう心苦しい思いで、大学へ向かった。
授業後、今まで一緒に授業を受けていた友達(女)を見つけた。
友達の少ない僕にとっては、貴重な存在である。
彼女とも、1か月以上顔を合わせていなかった。気まずい。
基本的にはまじめで、やることはやって、ヤることもヤる、というのが彼女の信条だ。
1か月ぶりなのに、はたまた1か月ぶりだからなのか、反応が薄いことがわかった。気まずい。。。
次の授業も一緒だったので、休憩時間に隣に並んで、なんとなく会話をしていたのだった。
ここで、事件は起きた。
僕としては虫のいい話だが、来ていなかった時の授業のプリントを見せてほしい、とお願いしたのである。もちろん相手がいい顔をしないことは予想はしていたし、無理を言っているのは承知の上だった。
案の定彼女は渋るような表情で「えーーーーーーーーーー」と言った。
彼女「うーん、1枚1万円かな」
(空気、凍り付く)
ワイ「え、、、あの、もう少し安くしていただけませんか。。。?」
彼女「えーーーーー。うーーーん。じゃあ1枚2000円」
ワイ「・・・。それは暗にプリントは見せませんと言っているのでしょうか。。。?」
彼女「だって、ワイくん学校来てないじゃん」
ワイ「そうですね。。。。。。。。」
彼女「だってそれはさ、私たち(もう一人前の授業にはヘラちゃんという友達がいた)がプリント持ってるのを当てにして休んでるのがバレバレなんよね」
ワイ(そういうつもりではないんだが・・・・・・)
彼女「そりゃ学校来るのはしんどいよ。でも私だってヘラちゃんだって頑張って毎週来てるわけだしぃ、ヘラちゃんはワイ君より遠いところから時間かけて来ててぇ、それなのにプリントだけ見せるのはよくないと思うよ」
ぐうの音も出ない正論である。出るのはただただ涙だ。心の中で僕は泣いていた。
ワイ「そうだよねえ・・・・・・・・・・。」
彼女「そんなんでさ、大丈夫なん?これから社会出ていくうえでさ、その準備段階でいい身分の大学すらちゃんとしてなくて、もう23?今年23になる年でしょ。そんなんじゃいけないことくらいわかるやん。私だってしんどいけど頑張ってるしさ。誰だってそうじゃん。そりゃ人によってしんどさが違うのはあるかもしれないけど、やらなきゃいけないことはちゃんとしなきゃだめでしょ?わかる?」
僕は2個下の女の子にあろうことか説教されているのである。つくづく悲しい。
そりゃ言いたいことだってある。言い訳したいこともある。でも僕は黙っていた。
彼女は、僕が今言ったことを理解していないと思っていたのだろうか。
そんなことは言われなくても、当の本人が百も千も万も承知なのである。
裕福とは決して言えないひとり親家庭に育ち、無理をして学費を捻出し、私立の大学に通わせていただいている身分だ。僕が家にいる間に母は汗水たらして働いている。給与の問題で、やりがいのない仕事を続けざるを得ない。。。ごめんよ、母ちゃん。。。
問題なのは、それだけのことを理解しながら、それでも学校に行けないという事実なのだ。
僕は2歳年下の女の子の説教を聞きながら、悲しくなるのと同時に、ああこの気持ち、懐かしいな、と思った。
あれは高校の時。
僕は1年生の1学期はちゃんと学校に通っていた。成績もそこそこよかった気がする。クラスも男女ともに仲が良く、それなりに楽しく過ごしていた。
そして夏休み明け、学校に行かなくなった。いや、行けなくなった。
ズルズルと休んでは、余計に行きづらくなる。
次第に、友達が冷たくなっていったように感じた。学校に行っても、社長出勤が来たわ、という風に思われていそうな。。。
半分は思い過ごしで、半分は本当にそう思っていただろう。
席が前後でそこそこしゃべっていた女子も、冷たい態度をとるようになった。
人づてに聞くと、彼女は「学校くらい来いよ。」と言っていたらしい。
僕はそれを知ったとき、激しく傷ついた。
担任の先生にも、同じような説教を受けた。
大人になるにはちゃんとしろ、甘えるな。勉強は怠るな。誰だってしんどいんだ。ストレスはあるんだ。それでも頑張っているんだ、と。
仕事や家事を頑張りすぎていた母は、悲しい目で僕を見つめて話を聞いてくれない。息子が再び不登校になっているという事実を受け止められない。将来の不安もある。
中学生の時、心のよりどころだった塾の人たちも、「甘えてるだけでしょ」といったような態度で、誰も話を聞いてくれないばかりか、かなり強い口調で説教されたこともあった。
自分ですら、「自分は甘えているんだ・・・」と自責した。
誰も、僕のことを理解してくれようとはしなかった。
そりゃ、誰のことも信じられなくなるよな。
当時の自分の境遇を思い出して涙が出そうになる。
若干15歳の男の子だ。。。
僕は、半分ふたをして思い出さないようにしていたころのことを思い出していた。
話を戻そう。
つらつらと彼女に説教をされた後、僕は何も言わないでいた。
そりゃあ言いたいことだってある。
僕がそんなことをわかっていないとでも?プリントを当てにして悠々とサボっていたわけではない。学校は来れないけれど、バイトは遅刻も欠勤もしたことはない、とか。。。
でも、そんなことを言ったってなにもならないことはとっくに学んでいたから、何も言わない。
ただただ、学校に来れないことで友達を失ったこと、仕方はないけれど、解りあえることなんてないんだ、という事実に悲しんでいた。
人は、理解できないものに不快感を示す。
結局自分のものさしでしか考えられないのだ。
僕だって、友達を失うことや、こんなに辛い思いをすることと、学校に行くことを天秤にかけたら、学校に行った方がいいことなんてわかっているのだ。
不登校とは、それでも行けない病気なのだ。
そして、根性や気合、友情や愛で治るものではないのだと思う。
アルコールやたばこ、ドラッグやギャンブルの依存症と同じように。
今、僕と同じように不登校に悩んでいる人がいるなら、
行きたくても行けないと思っているのなら。
それはあなたの心が弱いからでも、根性がないからでも、感謝が足りないからでも不真面目だからでもない。
むしろ、何かに感じすぎてしまう、繊細で真面目な人なのではないだろうか。
繊細で真面目すぎるがゆえに、いろいろな人の言動に傷つき、自分の状況に怒りを覚え、自己反省を繰り返し、エネルギーはどんどん消耗していき、社会生活どころではなくなってしまう。
少なくとも僕はそうだったのではないかな、と思う。
そんな人に根性を押し付けたりとか、焚きつけるような説教をしたりだとか、殴ったりしたってまったくもって無駄なことなのだ。
必要なのは、理解してくれる人とコミュニティなのではないかと思う。
周りの人の理解があれば、ちゃんと働けるし、活き活きと輝けるのではないだろうか。
話が逸れていってしまったが、大学でのそんな出来事があり、日がな一日そんなことばかり考えては悲しみ、傷つき、意味もないことだが怒っていたのである。(怒りの根底にある気持ちはどんな時も悲しみだ)
それにしても、一つ成長したなと思えたことがある。
それは、その悲しみをずーっと引きずらないようになったことである。
以前ならば、特に高校生の時なんかは、そのことでずーーっと苦しみ続けただろう。
今ももちろん苦しんでいるのだが、意識的に考えないようにする術も身に着けたようだ。
生活の基盤が以前よりしっかりしているからだろうか。
大学、というのも大きいか。高校だったらクラスから逃げられないからね。
そして、記事にしてみることで多少は整理もつくもんだね。
もう引きずらない。それで、今学期のあと1か月はちゃんと頑張って大学に行く!
ま、そうはいってもうまくいかないことの方が多いんだけどね。
価値観を変えた、メンヘラビッチちゃんとの出会い③
彼女とのLINEのやり取りで、割と何でも話せるようになってきたころだった。
彼女は下ネタが好きで、お酒も好きで、僕と同じく尾崎豊が好きで、病んでいる人も好きだということがわかっていた。
彼女は夏休みも明け、ついにバイトを始めようと思ったらしい。
酒屋で初めてのバイトを始めることになった彼女を僕は祝福した。
彼女は「落ちたら風俗で働こうかと思っていた」と言う。
そう、彼女は孤独なダンサーなのである。
愚かな僕は浅はかにも、僕が救ってあげるしかないと思っていた。
よくあるクサい説教ではあるが、「親が悲しむで」という類のことを伝えた。
すると彼女は、
「親は子どもさえ作らなければ誰とどこで何をしてもいいよ、って言ってた。それを信じて男を家に連れ込んでたら親に怒られた」と。
このときの僕の「え?」という感情。
日本語でなんて言うのだろう。背中に冷や汗が滲むような。
そして、
「三回生にセフレがいる」
と聞いたとき、血の気がさーっと引いていくように、僕はなぜだか絶望した。
すごく子供じみているかもしれないけれど。
そのセフレというのは、平日はほぼ毎日家にいること。彼女の部屋の合鍵を持っていること。入学直後から半年ほど一緒にいること。本当はセフレがいるからあまり友達を作ろうと思わなかったこと。そして何より、虚しいこと。それでも寂しいから離れられないことを聞いた。
唖然とした・・・
セックスというのは恋愛の末にたどり着く甘いものだと信じていた・・・わけではなかったかもしれないが、セフレというものがそんなに身近に、普通に存在することに衝撃を受けたことを覚えている。
彼女はさらに、そのセフレだけでなく、新歓で出会った先輩や、Tinderで出会った男、Twitterで少し有名なおっさん(アルファツイッタラーと言っていたが)など、いろいろな男との関係があることを暴露した。
とりあえず僕がそういうものに対して嫌悪感を抱いたのは言うまでもない。
彼女は、「セフレ、楽やで。だって誕生日とか記念日とかないからお金かからんし、性欲は満たせるし。他の人と会ってもいいし」という。
彼女にはセフレがいたんだ。。。そうか、そうなのか。。。
たぶん、ショックだった。そして僕の価値観は大きく揺らいだ。
それでも彼女は、言うまでもなく幸せそうではなかった。
僕が救ってあげたい。そんなキモヲタ童貞の独りよがりがそれでもあった。
その後、会って話した際に首筋の跡について尋ねてみると、案の定キスマークだった。
「首筋にキスマークつけるのなんて高校生までやでな、はははー」
という彼女。
20歳にもなって童貞だった僕は、とにかく自分が惨めで仕方なかった。
かくして、友人のsくんの言う通り、彼女には深いワケがあったわけだ。
いやぁ、恐れ入った。
その後、前々から彼女と約束していたのだが、学校終わりに居酒屋で飲む機会があった。
彼女と話すのは本当に楽しかった。
話題も尽きないし、なによりお互い病んでいる同士であることが心地よかったのだろう。
僕も彼女も、できることなら生まれてこなければよかったと思っていた。
そしてこれはメンヘラによくあることだが、しきりに自分のことをブスだと言っていた。鏡を見ると死にたくなると。
もちろん、実際はブサイクではない。
彼女は親にずっと罵られて育ってきたらしい。
そして弟と容姿をいつも比較されていた。
彼女には、セックスで一時の快楽を与えてくれる男ではなく、本当に心から愛してくれる人が必要なことは明らかだった。
そして傲慢にも、僕にはその役割ができると思っていた。
酒を煽りながら、病みながら、互いのことを語った。
そして、誰が何と言おうと、彼女には生きている価値があること、きっと望まれて生を受けたことを熱弁した。
お互い、時には涙を流しながら。
すごく楽しかった。
そうしているうちに、地下鉄の終電を逃してしまったのである。
やましい気持ちがあったかどうかは覚えていない。
いや、たぶんあったのだろう。。。
彼女は「うちに泊まっていく?」と言った。
僕はもちろんうれしかったのだが、
「あ、でもセフレ家おるらしいわ」という一言を聞き、それはもう情けない気持ちになった。
彼女がセフレにうまいように利用されているのは明らかだった。
金を貸してと言われたこともあれば、勝手に彼女の自転車を使ったり、家代わりに使い(セフレの実家は大阪で、大学は京都)、性欲を満たす。
僕が激しい嫌悪感を抱いたのは、倫理的な問題だと思っていたが、本当はそいつがうらやましかっただけなのかもしれない。
僕は結局のところ、そういう人間だったのだ。
僕は当時、学校から4kmほど離れた学生寮に住んでいたので、彼女の自転車を貸してもらい、帰ることになった。彼女は徒歩でセフレの待つ下宿へ帰ることに。
居酒屋を出て、今日は楽しかったよと手を振った時、彼女がはにかんだとき、
さすがの僕でもわかっていた。
今、僕が本気で彼女を愛することを誓って抱きしめれば。利用されているセフレを追い出してともに歩もうと言えば。
たぶん付き合うことはできたと思う。
もちろんその後のことはわからないけれど。
それでも、僕はそうしなかった。そうできなかった。
彼女にとって僕は、普通の友達でいてあげたい。体だけの虚しい関係じゃなく、本当の友情というものがあることを証明したい、と。
少しでもやましい気持ちを抱えている時点でそのような欺瞞は成立しないことは今となってはよくわかる。
本当は、ただただ怖かっただけなのだ。自分に自信がなかっただけだった。
「でも、(セフレのセックスが)上手いんだよなぁ・・・」
そう言っていた彼女。僕はしり込みしてしまったのだ。
そして、本当に彼女のことを強く愛する覚悟があるのかも怪しかった。
僕も結局はその男と一緒で彼女を利用したいだけなのでは、と。
僕は彼女に手を振り、自転車を北に向かって漕ぎ始めた。
酒のせいなのか、初めて京都を自転車で走ったからか。
秋の予感を感じさせる風の中、どこか清々しさを感じていた。
ずっと先の話ではあるが、彼女にはバイト先で出会った年上の彼氏ができた。
セフレもひと悶着の末に追い出し、とても幸せそうだった。
僕も彼女も、やはり必要なのは無条件の愛だったことを確認したのである。
僕は、彼女が幸せそうなことを心から喜んだ。
そう、これでよかったのだ。
sくんと彼女とは3人で今も仲良くしている。
しょうもない下ネタを話したりしながら。
ありがたいことに、僕の数少ない友人となった。
かくして、僕の価値観は大きく変わってしまった。
童貞コンプレックスと結びついて、自分はなんて無価値な人間なのだろうとより強く思うようになった。
本当は彼女のセフレも、彼女のことさえも羨ましいと思っていたのだ。
男は遊んだ末に一人の女性に落ち着くものだとしたら、今遊ばないでどうする、と。
学生時代にモテなかった人が将来こじれて浮気したりするらしいじゃないか。
そんなことを思うと、余計に自分が無価値な人間だと思えて仕方なくなるのだった。。。
価値観を変えた、メンヘラビッチちゃんとの出会い②
かくして、僕は初めて授業中に女の子に声をかけ、連絡先をゲットできたのである。
大学に通っていればそんなに珍しいことではないのかもしれないが、当時の僕はウキウキだった。
ところが、特にこれといってメッセージを送る口実もない。
テスト習慣が去り、夏休みに入っても、僕は彼女に何も送ることはなかった。
だって、無視とかされたら悲しいし。
長い夏休みのある日、彼女はLINEのプロフィール写真も自分のものではなかったので、顔も忘れてしまった頃だった。
彼女のLINEのステータスメッセージが更新されていることに気付いた。
~穏やかなる諦念~
???
なんのことかさっぱりわからん。てか諦めるに念でなんて読むんだ?
調べたところ、「ていねん」と読むらしい。ふーん。
そんなことはどうでもよくて、僕は確信した。
この子、絶対メンヘラだ!!!!!!!
ヘッダーも、「起こさないでください」というセリフが付いた眠っている女の子のイラストだった。
僕は、もし誰かと付き合うことがあるならメンヘラな女の子だろうと思っていた。
他愛もない話というのが苦手なのである。
それは、きれいなものをきれいと言えないような、みんなが好きなものを好きと言えないような、そんな感じだ。
とにかく、普通の大学生(しかも2歳下)とは価値観が違いすぎていた。
お互いが病んでいる心を持ち寄り、持ち前の分析力(?)でメンヘラな彼女を元気にしてあげたい。
そんな気持ちの悪い願望を抱いていたのである。
僕は意を決して、メッセージを送ってみたのである。
こんばんは。
経済の授業で一回隣になった〇〇です。覚えてるかな?
LINEのひとことがいつもポエムっぽいので気になってたよ(笑)
この前はノート見せてくれてありがとうΣ(´∀`;)
テストなんとかなった…かもしれない…笑
〇〇さんは大丈夫だった?
これ、本当に送ったものをさかのぼって張り付けた。
なんと彼女はこんなキモヲタのメッセージに返事をくれたのだった。
その後、出身が徳島であること、通学の大変さ、お互いサークル活動をちゃんとしていないこと、彼女はバイトをしていないことなどを話した。
彼女は、一人でいるのが嫌いじゃないと言った。
講義を受けるのも、昼食を取るのでも。
そして、少しメンヘラやからなぁ・・・とも言っていた。
そうこうしているうちに、毎日のように連絡を取るようになっていた。
僕は友達が少ないので、遊ぶ予定もなければ、メッセージのやり取りをする相手もあまりいないのである。
だから、僕は彼女とのメッセージのやり取りを楽しんでいた。
返事が来れば嬉しいし、来なければ気になってしまう。
まったく自覚することはなかったが、これは恋なのだろうか。
秋学期のはじめごろ、僕は彼女を昼食に誘った。
彼女もぼっちだというので快く承諾してくれた。
顔もあまり思い出せない、それでもやり取りを続けている女の子と再び対面するのである。この高揚たるや。
彼女がコンビニで買ってきた昼ご飯を手にして現れ、僕たちは大講堂の隣同士に座った。
僕は結構おしゃべりな方だ。
特に初対面となると、なにか話さなきゃ、とどうでもいい話題を提供してしまったりもする。
何を話したかはあまり覚えていない。
覚えているのは彼女のセリフ。
「私、メンがヘラってるからなぁ、はははー」
と言っていたこと。
僕が学食で買ったほうれんそうのお浸しを指しながら、
「醤油つけすぎちゃったわw目測を誤ってw」
と言ったことくらいだ。
そんなしょうもないことにも彼女は笑ってくれた。
大学で初めて女の子の友達ができたかもしれない。もしかしたらゆくゆくは彼女に・・・
ぼっちな彼女に手を差し伸べるヒーローにでもなったつもりなのだろうか。
僕はとにかく舞い上がっていた。
ところで、僕には当時唯一の学部の友達であるsくん(男)がいたのだが、その友達も徳島出身であった。
そのことを彼女にも伝えると、彼女も「会ってみたい」と言っていた。
京都の大学で、徳島出身の人はなかなか珍しいのである。
その2人を初めて引き合わせたとき、以外にもすぐに意気投合した。
sくんはどちらかというと人見知りをする方なのだが。
やはり地元トークって偉大。
しかも、お互い意識はしていなかったようだが、英語の授業(学部内で自動的に振り分けられる)が一緒だったようだ。
これだけ偶然が重なれば、仲良くなるのにそう時間も必要なかった。
そうして、僕たちは3人で授業を受けるようになったのである。
そんなある日、sくんと2人で話していたときだった。
sくん「あの子、なんか闇を感じるよね(笑)
僕「まぁ、自分でメンヘラって言ってるしね」
sくん「てかさ、首筋にある跡、見た?」
僕「え?なにそれ?」
sくん「キスマークっぽかったで?」
僕「キスマーク・・・?」
童貞の僕は、キスマークが何か知らなかったのである。sくんからそのとき教えてもらったことによると、どうやらそれは思ったより簡単につくらしい。
それでも僕はその時、そんなまさか、と思ったのである。
彼女は潔白で友達がいなくて傷ついた女の子だと。。。
僕「まぁでも、なんかどっかにぶつけたって言ってたしなぁ・・・」
sくん「今度聞いてみてや!w」
友達もいないという彼女にまさか彼氏がいるなんてことは考えてもみなかった。
しかし、抱いた疑念は少しずつ、明らかとなっていくのである。
価値観を変えた、メンヘラビッチちゃんとの出会い①
あれは大学に入学して、数か月がたった春。
学部内でできた友達は、身体測定の時に前後になった男子一人だけだった。
その友達も、僕と同じく徐々に学校に来なくなっていた。
初めのころは、「今日来てる?」「ごめん、来てない」などのやり取りがあったが、すれ違うことが多かったので、いつの間にかそんなやり取りはなくなってしまっていた。
つまり、僕はぼっちで授業を受けていたのである。
経済学部の人数は1000人。300人程度がひしめく教室で、誰とも話さず過ごすことはあまりに辛い。
僕は別に一人が嫌いなわけではない。嫌いだったら引きこもりはたぶん続けられない。ただ、周囲がこれ見よがしに楽しそうにしているなかで一人でいることはこれほどになく惨めだった。
学部の人数がそれだけ多いと、もはやクラスメイトのような感覚は一切ない。
電車で乗り合わせる他人と大差ないのだ。
いまだに思うけどなんでみんなあんな友達いるんだ。。。
入学前のTwitterでの工作とか、新歓とか、サークルとか。。。
そんなことを器用にこなさないと友達すらできない空間だというのか。
僕は病んでいた。
通学に往復3時間ほどをかけ、誰とも話さず、つまらない講義を聞くだけの大学生活。
身の程に合わない大金をかけて、いったいなんの意味があるのだろう、と。
テストが迫ってきたある日、ぼっちで講義に臨んだのだが、隣にいる女の子もぼっちであることに気付いた。しかも結構かわいい雰囲気。
入学から数か月。テストと夏が迫ってきている時期に、ぼっち、しかも女の子でぼっちというのはかなり珍しいのだった。
僕は何を血迷ったか、その女の子に声をかけた。
「あのぉ、すみません、先週の講義に出られずノートがないのですが、見せていただけませんか?」
と、いかにもキモヲタ風に。
ちなみに、私立経済学部の正解はたぶんこうだ。
「先週ノートとってないねんけどさ、見せてくれへん?www」
うそ、なぜか軽薄な連中も最初は敬語を使う謎ルールがあるような気がする。
とにかく僕は、同じ学部の女の子に話しかけることなんてなかったので、どういう話し方をしたらいいのかわからなかったのである。
それでもその女の子は
「あ、うん、いいよ」
と言ってノートを見せてくれた。
僕はとりあえず、見せてくれたページをパシャパシャと写真に収め、礼を言いノートを返した。
そして、授業が始まってから、不埒な僕はずっとこんなことを考えていた。
「あれ、隣の子ぼっちだし、仲良くなれんじゃね・・・?しかも結構かわいかった気がするし・・・連絡先聞きたいなぁ・・・」
授業中なので隣をあからさまに確認することも話しかけることもできずにいた。
隣が気になって授業の内容は頭に入ってこない。
そして、授業が終わってから、僕はまたもあろうことか、本当に連絡先を聞いてしまったのである。
「あ、あのぉ、もしよかったら、僕、ほら、経済に友達いなくて、なんか情報とか聞ける人いないので、よかったら連絡先を教えてもらいたいのですが・・・」
・・・キモすぎる。
これでメガネをかけているのだからキモヲタ確定である。
女の子もさぞかしびっくりしただろう。
それでも、
「あ、うん、いいよ」とLINEを交換してくれた。
さらに、「字汚いから、わからんところあったらまた言ってな」と言うのである。
天使だろうか。
こうして書くとキモヲタの妄想のようだが、決してそうではない。
過ぎ去っていく膨大な日々のたった1日くらい、こんなこともあるのだ。
舞い上がった僕は、去り際に「じゃあね」とか「バイバイ」とでも言えばよかったのだ。
ところが普通の振る舞いというのを忘れていたのか、謎の緊張なのかぼくはこう言った。
「ではさらば!」
・・・気持ち悪すぎる。
彼女ものちに「やべーやつ来たなと思った」と言っていた。
その後、彼女は僕の数少ない大学の友達になり、そして僕の価値観は大きく変えられてしまうのである。
続く
元引きこもり大学生が、普通のバイトを1年間続けた話
僕は今、ネットカフェと塾講師を掛け持ちしている。
塾の方は、大学受験まで生徒としてお世話になっていたところなので、あまり働いているという感覚はない。
塾の講師は大学1年の初めごろからしているが、僕には大きな不安があった。
「大学に入ったけれど働けないのでは。。。。」
と常に思っていたのである。
今までバイトをしてきたことは何度かあった。
1度目は改装オープン前の中華料理屋。2度目はスーパーで品出し。そして3度目は郵便配達の短期バイト。
中華屋とスーパーは、いやになってやめてしまった。(いわゆるばっくれ)
郵便配達は短期なので、辞めますという必要がないので応募できた。
どうしても、働き続けていると苦しくなってしまうのだ。
そもそも学校にすら行けないのに働けるはずがない、と思っていた。
もちろん学校と違って遅刻やサボりはしないのだけれど。それは責任感なのだろうか。
とにかくその重圧に耐えられなくなってしまうのかもしれない。
大学に入学しても、学校に行けたり行けなかったり。そんな中バイトなんてしたら余計に体力を消耗して学校に行けなくなるのではないか。そんな不安もあった。
同じ学年の大学生たちは当たり前のようにバイトをしている。
僕は、普通になれない。。。
勉強は頑張れて、そこそこの偏差値の大学に入学できたとしても、出席もできなければバイトすらできない。
また、バイトをしていないと、当たり前だがお金がない。
友達は多くないので交際費はたいしてかからないが、それでも多少のお金はかかってしまう。
塾の収入は微々たるもの。
ひとり親家庭で、母の収入も多くない。
そんな母に学費を負担してもらいながら、最低限ではあるが生活費をもらわなければ生活できないこと。
たまに母にお金をくださいとお願いすること。
本当に苦しかった。
大学入学から1年経った春休み。
当然だが母からは「バイトくらいしなさい」と言われていた。
やっと重い腰を上げて僕は、働いてみようという気になったのである。
選んだのはネットカフェ。
友達が「ネカフェめっちゃ楽らしいで」と言っていたこと、
ダーツをしに何度か遊びに行ったことがあり、店の印象がよかったことが理由だ。
運よく採用してもらい、僕はいわゆる普通のバイトを久方ぶりにすることになったのである。
働く人たちに大学生が多いことが新鮮だった。
中華屋は一瞬で辞めてしまったが、スーパーはお昼だったこともあるし、郵便局はいわずもがな学生などいなかったのである。
働き始めてからというもの、たくさんの苦労があった。
まず、接客というものを、21歳にもなってしたことがなかったのである。
レジを打ったことももちろんなかった。
お客さんに対して料金の説明やら、使うブースの説明やら、とにかく話さなければならない場面があると慌ててしまう。
また、そもそも働く人の数が少ないのだが、その中でブイブイ言わせてる女子大生2人から嫌われてしまったり。。。
「アイツ、マジ使えないよな」という声が聞こえてきそうな感じだった。
何度も辞めようかと思ったけれど、だましだまし続け、1年経った。
今では仕事にも慣れ、緊張するようなこともなくなった。
なにより「普通に働けるんだ」とわかったことが一番大きかった。
接客業には向いていないし、好きでもないこともわかったけれど。
普通に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」なんて言って、そこそこのトークもできる。
だれでもできる普通のことではあるが、引きこもりにとっては大きな一歩なのだ。
高校を中退して、オープン前の中華屋でバイトを始め、あまりのつらさにすぐに逃げてしまったとき
「僕は学校にすら行けないし、バイトすらできないんだ。。。」
と絶望した。
あまりの絶望感だった。
でも、それは場所が悪いだけだった。
どこに行っても、つらいことが全くないわけではないかもしれない。
それでも、自分に合ったところを探せばよかったんだ。
今、以前の僕のような絶望を感じている人がいるならば、それでも諦めないでほしいと思う。
周りの人間がいとも簡単にできることかもしれないけれど。
とりあえず働ければ、生きてはいけるはずだから。
自信をもって生きていたら、いいこともきっとあるはずだから。
元不登校大学生のゆるい社会復帰ブログ
はじめまして、たちこっていいます。
はじめてブログを書く。
現在大学3年生の22歳。
小学校6年生あたりから学校に行ったり行かなかったり。
頑張った時期もあるけど、頑張れない時期のほうが多い。
高校を中退して、引きこもったり。一念発起して受験勉強を頑張ったり。
もしできるならば、今生きづらさを感じながら生きている人、引きこもっている人などに読んでもらいたい。もちろん誰が読んでくれても嬉しいけれど。
よく変わった引きこもりだと言われていた僕。
ブログを通じて、あったこと、考えていたことを思い出しつつ整理していきたいなと思っている。